ふるさとの話  その5

すみれ草の話

中学生位になると、私も一人前に 山や畑の仕事が出来るようになった。

山の仕事とは 草刈りや焚き木採りのことで、夏休みや冬休み、時には日曜日に

そういう仕事を引き受けた。

 

勝手知ったる 故郷の山は、私にとってワクワクする楽しい場所でもあった。

背中に背負子(しょいこ)を担い、ナタかカマを手に持ち 馴染みの山へ向かう。

一番近場の山は集落を見下ろせる場所にあり、ここに登ると集落の殆どが見え

港から遥か太平洋まで見渡せて、心が晴ればれとなる大好きな場所だった。

この山では 草刈りもできるし、松の林もあったので焚き木採りもできる為

私は何度も通ってお世話になったものだ。

 

山に登る為の道は 人ひとりが歩ける位の細い一本道で、頂上までうねうねと続いていた。早朝に歩くと両脇の草のつゆで、ズボンの裾がびっしょり濡れる。

途中に、小さい畑が段々になって何かの作物が作られている。

その一本道の両脇、陽当たりの良い場所に、春の訪れと共に紫色の小さいスミレ草が

あちこちと姿を見せ始め、何とも言えず幸せな気分になったものだった。

 

   山路来て 何やらゆかし すみれ草

 

有名な芭蕉の句そのものの景色であるが、私はそのすみれ草を数株持ち帰り

自宅の庭の隅っこに植えてみた。ところが、全く育たなくて残念だったし、

枯れてしまったすみれ草に 申し訳ないと反省したのだった。あの山道で

あんなに生き生きと可愛らしく咲いていたのに、私の我が儘でなんてことを。

 

   手に取らで やはり野に置け 蓮華草

 

滝野瓢水のこの俳句は 反省後悔したあの時の私の心境を表してくれている。

その後は いついかなる場所ですみれの花を見つけても、そっと愛でるだけに

している。

 

種蒔きして育った ビオラたち