すみれ草の話
中学生位になると、私も一人前に 山や畑の仕事が出来るようになった。
山の仕事とは 草刈りや焚き木採りのことで、夏休みや冬休み、時には日曜日に
そういう仕事を引き受けた。
勝手知ったる 故郷の山は、私にとってワクワクする楽しい場所でもあった。
背中に背負子(しょいこ)を担い、ナタかカマを手に持ち 馴染みの山へ向かう。
一番近場の山は集落を見下ろせる場所にあり、ここに登ると集落の殆どが見え
港から遥か太平洋まで見渡せて、心が晴ればれとなる大好きな場所だった。
この山では 草刈りもできるし、松の林もあったので焚き木採りもできる為
私は何度も通ってお世話になったものだ。
山に登る為の道は 人ひとりが歩ける位の細い一本道で、頂上までうねうねと続いていた。早朝に歩くと両脇の草のつゆで、ズボンの裾がびっしょり濡れる。
途中に、小さい畑が段々になって何かの作物が作られている。
その一本道の両脇、陽当たりの良い場所に、春の訪れと共に紫色の小さいスミレ草が
あちこちと姿を見せ始め、何とも言えず幸せな気分になったものだった。
山路来て 何やらゆかし すみれ草
有名な芭蕉の句そのものの景色であるが、私はそのすみれ草を数株持ち帰り
自宅の庭の隅っこに植えてみた。ところが、全く育たなくて残念だったし、
枯れてしまったすみれ草に 申し訳ないと反省したのだった。あの山道で
あんなに生き生きと可愛らしく咲いていたのに、私の我が儘でなんてことを。
手に取らで やはり野に置け 蓮華草
滝野瓢水のこの俳句は 反省後悔したあの時の私の心境を表してくれている。
その後は いついかなる場所ですみれの花を見つけても、そっと愛でるだけに
している。
種蒔きして育った ビオラたち