ふるさとの話  その4

女たちの仕事

祖母や母の日常は、男たちよりも忙しく 細やかだったと思う。

女がゆっくりしたり、遊んで暮らしている者は殆ど居ない。                        それは村のどこの家庭でもそうだった。

 

我が家でもその通りで、母も祖母も

質素な朝食をそそくさと済ませ、いつもの仕事にいつも通り取り掛かる。

今日は何をするべきかを常に心がけていて、当然の如くその仕事に向かう。

例えば畑仕事に行く人あり、又 牛を飼っている家なら飼料となる草刈りにも行き、

毎日の煮炊きに使う焚き木も 山に採りに行かねばならない。洗濯にしても 当時は

洗濯機など無い時代だから、川に行って 四角い固形石鹼でこすって洗う。

真冬だろうといつだろうと、怠ける訳にいかないのだ。

 

ちなみに私は、この川での洗濯が割と気に入ってて、幼い頃から良く洗濯の手伝いをし

た。川幅四~五メートル程しかないが、透明度バツグンの流れだった。

なぜ川の洗濯を好きだったかと言えば、村の川の洗濯場には

丁度 洗濯板代わりになるように、大きくて平べったい石が どっかりと幾つか 

 据えてあったので、手洗いと言えども楽ちんだった。

しかもすすぎの作業が、川の水流でアッという間にキレイに片付くのだ。

洗濯物を抱えて川に行けば誰かがいて、大物を洗ったあとは二人がかりで

両端を持ってしぼる。遊び仲間がいる時は、洗濯が終わっても そこでひとしきり

賑やかに遊んでから帰るものだった。

 

母たちは午前の仕事を済ませたら、 一旦家に帰って昼食の後 野良着のままで 

  少しゆっくりしてから又もやどこかへ仕事に出かけて行き、夕方帰宅する。

そして祖母と母と二人して、家族の夕餉の支度にかかる。

 

百姓の仕事もしながら、家事全般も怠らず

私などには真似もできない。

 

思い出の中の 母の面影といえば、いつも絣のもんぺの野良着姿がうかんでくる。

母も祖母も、働き者だった。

 

中学を卒業して家を離れるまで、まだ幼い頃から親と一緒に私も                        山に行ったり畑に出たり、割と楽しみながら自分なりの 

子供なりの役目を果たしていたのかも知れない。

 

葉牡丹の寄せ植え   バラの花みたいでかわいい