ふるさとの話  その1

他人の故郷の話なんて 誰も興味なんて無いと思うから、ここに書くべきか躊躇した。

けれど、想い出を辿りながら書き残すことで、自分のルーツや歴史を再認識出来ると感じ このブログをはじめる事にした。

 

戦後五年生まれの私の目で見た故郷は、豊かな暮らしとは程遠いけれど、大人は生き生きと働き、子供たちは元気に外で遊び回り、日暮れと共に家に帰る・・

そんな日常を送っていたように記憶している。

 

九州の最南端、太平洋を目の前に 遠くに種子島が細長くかすんで見えている。

後ろを振り向けば すぐに山野が続き、海の幸山の幸が豊かな村。

贅沢な物は何にもなかったけれど、食べ物に困ることは無い生活をしていたと記憶している。

 

私の住む村はその頃およそ四十世帯あり、殆どが三世代同居で 私ら四人兄妹も

おじいちゃんおばあちゃんに、家を離れる時まで見守られながら育ってきた。

村中の殆どのお家に誰もが上がり込める?大らかな集落だった。それはなぜか。

このあたりの理由は追々お話出来ると思うが、 何しろ私から見たら皆が親戚のように

優しくてあったかい村だった。道で会う大人達は、いつも声を掛けてくれ、ちょっとした近況も聞き出して行く。                           

 

幼い頃は何も意識はなかったけれど、今になって思うと本当に恵まれた子供時代を

あの村で過ごしたんだ、と感謝の思いが湧いてくる。そして、お一人おひとりの

優しい顔が 笑顔とともに思い出される。

種蒔きして育ったヤグルマギク  しなやかで可愛い