故郷の話その10  天草採りと ところてん

 

夏になると食べたくなる ところてん。

 

何を原料にどうやって作られてるか、海から離れた地域で育った方や

若い方々はご存じないかも知れない。

 

ところてんは、天草(てんぐさ)と言う海藻で作る、食物繊維タップリの  

 自然食品なのである。

海で採ってきた天草を、何日も何日も天日干しにして良く乾燥させてから作る。

 

大鍋の湯の中に乾燥したてんぐさを入れてグツグツと煮ると、  

         煮汁がトロットロになってくるので、

ちょうど良さそうな頃合いをみて 大きな木綿の布袋に鍋の中身を全て流し込む。

 

その布袋を2~3人がかりで木の棒を使って搾ると、とろりとしたてんぐさの

エキスが絞り出される。このエキスを器に流し込み、時間がたてば自然に固まるので

それを食べやすく細く切って酢醬油でいただく。ところてん突きという便利な道具も

あり、この小さい木箱の中にところてんの塊を入れて突き出すと、太い麵状になって

出てくるので、ツルツルと食べやすい。

ところてんは、今はスーパーでしか買えないが、味や風味はまったく違う気がする。

あの頃のところてんを、もう一度食べてみたい。

 

昔、ところてんを作る日は

大きなボウルやその辺の器に幾つも作るので、その後しばらくは毎日ところてんを食

べさせられて閉口していたあの頃が懐かしい。

 

私の故郷ではその昔(私が中学生位のころまでは)毎年五月になると

てんぐさ採りと言う行事があった。

これがまた、とてもユニークな行事だったので、しっかり覚えている。

 

学校区の中には、三つの集落があり、どの集落も海に面している。

五月の、ある決まった三日間だけ、集落ごとに交替でてんぐさ採りがあった。

生徒たちはいったんは全員登校するが、潮が引き始める時間になったら

てんぐさ採りの日に当たってる集落の生徒たちだけ下校して

村の大人たちに混じって、てんぐさ採りに行けるのだった。採る場所は

自分の集落の範囲内で、ほかの集落の海岸へは行けない。

 

残りの二つの集落の生徒たちは、普通に学校で授業をうける。

これが三日かけて繰り返されるので、子供達もテンションが上がる。

学校側と校区民との間に、どの様な話合いがなされていたのか、知る由もないが

それはもう恒例行事となっていたので、不思議とも思わなかった。

 

さて、村に帰った生徒たちは中学生も小学生も例外なく、海に行く支度をして

浜へと集合する。わら草履を履き、上級生の子達は海に潜る事もあるので濡れても良い

身支度で。

腰には、てんぐさを入れる専用の網の袋をくくり付けて、用意周到だ。

今思いだして想像してみると、自然度満載でクスッと笑える格好だけど

可愛い女子たちだって、みんな真剣でワクワクの日なのだ。

 

大人達もすっかり身支度万端で、小舟を持っている人達は舟に乗り込み

海から回って行けるので、沖の瀬に渡ることも出来る。沖の瀬は大小幾つかあり、

てんぐさや他の貝類も豊富に採れた。

 

男の大人達は殆どが海からのコースだった。

女や子供達は、海岸沿いに歩いて行くことになる。

 

引き潮が進み、頃合いを見て長老級の誰からともなく合図がでると、

みんな一斉に海岸へと向かう。みんな楽しみで仕方ない。

てんぐさをとるのも勿論だが、貝もたくさん採れる季節だからなおさらの事。

 

五月のこの季節は、潮が一番大きく引いて、海岸線が遠くまで現れる。

だから、貝なども普段より大漁を見込めるから、わくわくする。

年に一度採るてんぐさは、海中の岩や瀬に生えていて長くてふさふさユラユラ 

 しているので手掴みでむしり取る。これを腰にくくりつけた網袋にどんどん 

 詰めていくと ずっしりと重く膨らんでくる。てんぐさは根っこが残る為に 

 同じ場所で又ふさふさに成長して行き、来年も同じ場所で収穫できるので

ある。                  

 

数時間後、てんぐさの収穫を終えた村人達がそれぞれに浜辺へ帰って来て

てんぐさを干したり、お互いの収穫を褒めあったりしていて賑やかになる。

それぞれが家に帰り、夕餉のひと時もきっと話がはずんだ事だろう。

大量に採れたてんぐさは乾燥後、樽に詰めて押し固めてから荒縄を掛けて縛り

漁協組合に出荷され、その時期だけのささやかな収入源になっていた。

 

私は中学を卒業後、公立の高校に行く為に故郷のあの村を離れたので

あんなに楽しい風習が、いつごろから、なぜ無くなってしまったのか分からないが

おそらくは、人口が減っていったのが一番の理由かもしれない。

 

潮が引いて 遠浅になった港の早朝の景色   昔にぎわった港も 今は人影もまばらに