昭和のあの頃 故郷では  

夏の海での 記憶

 

三歳か四歳ごろだったと思っているが、生まれて初めて海で泳げるようになった時の

事が、フラッシュバックのようにして浮かんでくる。こんな事を人様が聞いたら、

そんな幼い頃の事を憶えているなんて噓みたいと思われるかもしれない。

だが自分を信じて言えば、あれは嬉しさのあまり記憶に残っている本当の事だ。

 

私が生まれたのは昭和でも戦後の復興期の頃である。

生まれた場所が農業と漁業両方ができる土地柄で、食べる事には全く困らない村だった

が、しかしながら贅沢な暮らしには無縁だった。

 

そんな幼い頃の夏のある日、町に出かけた祖母が私に海水帽を買って来てくれた。

今時のものと比べると想像もつかない海水帽だが、あの頃村では他に誰も持っていない

最高のお土産だった。それはビニールの生地のようではあったが、柔らかでもないし

しっとりでも無いシャカシャカ音のする手触りのビニール製だった。

 

半透明の生地に可愛いピンク色の水玉模様があって、あごの所で結べるようにひもがつ

いていた。

きっと私は大喜びしたはずで、海に浸かるつもりで祖母に連れられ浜辺へ降りて

行ったのだろう。(この辺りは記憶の映像が浮かんでこない)

 

鮮明に脳裏に浮かんで来るのは、この後の場面である。

 

小さい私は水着代わりの下着を着て、嬉しい嬉しい海水帽を被り、波打ち際の

浅い場所で手をついて、寄せては返すさざ波に身を任せてはしゃいでいた。

祖母は少し離れた浜辺から、笑いながら私の様子を見て

「もうちょっと沖の方に下がって手を離してごらんよ、きっと泳げるから」と

何度も私をせかしたのだと思う。

そうこうしている時に、砂地から手が離れ水中に体が浮いた!!

 

この時から私は、海で泳げるようになったのだった。

 

泳ぎの大好きな娘になり、中学生になるころには、海女さんみたいに

深い海に潜ってサザエとか三角ミナ(貝の名前)も採れる位だった。

 

あれから ン十年・・・多分五十代の夏に帰省した折に、無性に泳ぎたくなり

人気のない海岸へ行き秘かに潜ってみた。

ところがどっこい、も、も、潜れない!?。1メートル程潜っても途中から

プカリと浮かんでしまう!  何度やっても同じだった。どゆこと??

夫君に話したら、受けまくって大笑いされた。

 

色々考察してみたが、おそらくわが身が太りすぎて浮力が付きすぎたか。

ものすごいショックな経験で、しばらく納得できなかった。

 

 

 

今年は おサレなお店でおサレな紅茶とケーキを おサレに頂いてみたい。(人吉市 くらカフェにて)