ふるさとの話その7  貝採りと磯遊びの記憶

 

小学生時代も、豊かな生活と言える暮らしではなかったが、そんな中でも

それなりに楽しみはあった。忘れられない楽しかった想い出が数多い。

私にとっては、むしろ幼少期から小学生時代までが 強く心に残っている。

その年頃って、殆ど自分を中心にして世界が回っているから、周囲の事とか

人の考えとか、余計な事を思惑する感覚がない。だから自分の周りで起こることが

ストレートに能へインプットされて、こんな高齢になってもいつまでも記憶に

残っているのだろうか?  これは全くの推測でしかないが。

今も 帰郷してブラブラ散歩したり、村の周辺を通れば、ここではこんな事をした

あそこではあんな事があったと、様々思い出すので、あの頃の記憶って

凄いなと思ったりする。

 

楽しかった思い出の一つが 海岸での磯遊びで、私は良く誰かと一緒に行ったり

たまに一人の時もあったが、とにかく好きでだれかれ誘い合って良く行った。

 

要するに磯遊びというのは 貝を採りに行くことで、場所場所によって採れる貝の

種類が違う。アサリ堀りからはじまり、ちょっと沖の瀬に渡れば下手をすると 

サザエとか、あわびにそっくりの一枚貝で「ながらめ」という貝などを

子供でも採ることもあった。あの頃は貝なども豊富だった。

 

貝をとる事も好きだったが、海の真近で磯の香をふんだんに嗅ぎながら

海風を受け 裸足で波につかる感覚が大好きな、わんぱく娘だった。

 

いろんな貝をかご一杯にして家に帰れば、祖母が直ぐに大鍋に湯を沸かして

ゆで上げてくれる。その時に何とも言えないすばらしい磯の香りが立ち昇る。

ゆでた熱々の貝を大きい竹ざるに広げ、居合わせた家族で食する。

採れたて新鮮だから、磯の香がプンプンと香る。みんな大好きな食べ物である。

 

里帰りした時に、昔のように又行ってみたいが、もういつの頃からか

そこへ続く道路は、草が生え木が生い茂り、走行不能なやぶと化していた。

どうしても そこへ行きたければ、小舟を使って海から回るしかない現状だ。

時代の流れとは言え、悲しくなる。

 

もう今は、昭和のあの頃の 村の活気や賑わいはどこにもない。

人口は激減し、若者も少なく 子供達の声も聞こえない。

空き家が増えて村に里帰りする人も少なく、寂しい限り。

日帰りでお墓参りに来るだけの人もいる。

 

私の実家は 父がまだ元気でいた頃、兄が父のために古い家を改築し

父なき後も、墓参りがてら家のメンテナンスに通ってくれてるお陰で、

きょうだい達が帰省しても泊まる事もできる。

だが、それもいつかは出来なくなる。そんな事を思うと寂しくてせつない。

これが、時代の流れと言うことなのだろう。

 

このツルバラは元の親木の枝を挿し木して、1~2年でこんなに成長した               フランソワ・ジュランビル